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母への手紙

仏教では亡くなって四十九日かけてあちらへ行くのだそうだけど、母さん、今頃どの辺にいるのでしょうか。

86歳、、、一般的には寿命を全うしたというのでしょうね。
ほんとはね、いつかは親は死ぬもの、先に送るものと私だっていい年なんだから覚悟はするものだと思ってはいたのよ。
だけどしようとしていただけなんだね。
実はまったく覚悟なんて出来ていなかったと分かったよ、情けないねぇ。
悲しいのですよ。

今になって思えば、先月末に会いに行って元気な顔を見てお喋りをして、、、本当によかった。
あんなに元気で喜んでくれたのに二週間後の急死はいまだに呆気にとられてるよ。
もう一回会いたかった。
何度でも会いたかった。

丁度寝入りばなに父さんからの電話でした。
今救急車で運ばれたけれどもう息をしてないから駄目だ、逝っちゃったよと泣いていましたよ。
私は一睡もできずに朝を待ったけれど新幹線も動いていないし、車で行くしかなくて、おじいちゃんのこと、まっくすのこと、色々手配してたら出発が昼頃になってしまったよ。
母さんは蘇生処置で頑張って待っててくれたけれど、福島近辺でとうとう、、、
間に合わなかったね。
4月13日でした。
車の中は私と妹とくーちゃんの泣き声の合唱で大変だったってパパに言われちゃった。

穏やかに元気に暮らしていたのに、やっぱり震災は生活リズムを一変してしまったよね。
まだ寒い時期に長い間の停電、街の変わり果てた姿、親戚や知人の訃報、、、どれをとっても悲しいことばかり。
血圧も高くなっちゃうし、かかりつけの市民病院は野戦病院のようなんだもの我慢しちゃうよね。
心身ともに目に見えないストレスがあったのだろうと思うと可哀想だった、もっと何かしてあげられることがあったかもしれないよね、ごめんね。

しかし、こんな時に逝っちゃうんだもの大変だったよ。
何が一番辛いかって、火葬してあげられたのが9日目だったということ。
営業再開している葬儀屋さんの霊安室に預かっていただいて毎日朝晩母さんに会いに通った日々。
道の両側に瓦礫が積まれて、延々と広がる被災地痕を見ながら通った光景。
30個ほどの棺が並んだ霊安室。
毎日数体火葬場に運ばれてもまた新しい棺が入ってくるんだよね。
棺の上にたくさんお供物とお花を添えて毎日こんなところでごめんねと語りかけましたね。
病死も災害死もないけれどほんとうに悲しい光景でした。

お葬式まで日が開いてしまったのでパパとおにぃ2とくーちゃんは一旦東京に戻りました。
残った私と妹は姉と一緒に毎日泣いたり笑ったりしながら思い出話をしたり母さんの悪口を言ったり。。。
火葬までの日々は3人で洋服を整理しました。
お洒落で洋服を買うのが大好きだったよね。
懐かしい洋服を見てはそれを着ていた姿が見に浮かんだよ。

気仙沼の火葬場では間に合わなくて岩手県の内陸での火葬だったけれど、あんなに混み合った火葬の様子も言いようのない光景だったよね。
でもおにぃもロンドンから駆けつけてくれて最後に会わせてあげられてよかった。
身内だけのお葬式をした我が家のお寺さんは港町の被災地ど真ん中。
少し高台だったから津波はまぬがれたけれど、瓦礫と車の転がったままのすさまじい駐車場、お寺さんはまだ避難所のまま。
ご住職のお話では被災後400件くらいお葬式があったそうですよ。
そんなこんなの光景がどれも悲しくて悲しくて、言いようもなく悲しくて、、、
私はこれからずっと震災と母さんの死を切り離して思い出すことはないでしょうね。

とても普段と同じようにに葬ってあげられる状況じゃなくて、、、
やってあげたいことが何も出来ない状況で、、、
でも他の方も皆同じ。
聞きつけてお悔やみに来てくださった方々の被災の話にも悲惨な話が多くて、しまいには何もかも悲しくてぐちゃぐちゃになっちゃったよ。

一周忌になるか三周忌になるか、気仙沼が復興してご縁にある方々に集まっていただいてきちんと法要したい、、これが父さんの一番の願いです。
こういう目的でも励みにして元気に頑張ってくれるといいね。

私はこの年まで両親揃っていてくれたことは幸せなことでしたよね。
ありがとう。
大好きだった岸洋子と越路吹雪のテープ入れておきました。
孫のくーちゃんは結婚式に愛の讃歌を歌ってくれるって約束だったのにって泣いていたよ。
結婚の予定もないのにね。
そちらでたくさん歌を歌って過ごしてね。
毛糸と編み針も入れました。
また素晴らしい作品を作ってね。

たくさんたくさんの思い出は、笑って思い出せるようになったら少しづつ引き出しから引っ張り出して楽しみますね。
母さん、またね。

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by mamamack | 2011-04-28 23:45 | みなと気仙沼

お花見散歩

今日は統一地方選挙。

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恒例の選挙日限定お楽しみ。
まっくす、大好きな小学校訪問であります。

まぱぱと交代で投票してくる間も動きません。

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このイヌ懐っこいうさぎさん、可愛いね♪
まくちゃんたまらないね~。
ヨダレ垂らさないでくださいね。

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まくちゃん、あちこち覗き込んで楽しいね。
できればこの小学校に入学したいね~。

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その後、桜満開の日曜日、お花見散歩です♪

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今日はお賽銭の代わりにこちらに入れさせてもらって、犠牲者のご冥福もお祈りしました。

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中野通り満開であります。
綺麗。。

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地元中野も桜まつり中止で提灯も撤去されました。
提灯がないのはいいけれど自粛ムードばかりでは社会全体が沈み込んでしまうよう。。
でもいつもより人出も少なく宴会ムードではないけれど、桜を見上げる人々の花を愛でる優しい表情はとてもいいものです。

日本では春はスタートの季節です。


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by mamamack | 2011-04-11 00:00 | 近所ふらふら | Comments(4)

帰郷ーⅡ

実家に行って両親や家族の顔を見て喜んでもらって、私もとりあえず一区切り元気になろうと思ってたんですよ。
ところが何処までも続く被災痕、凄まじい津波のこれでもかという威力を目の当たりにしてすっかり心が折れてしまいました。

家族や親戚、友達、、、被災地ハイとでもいうのでしょうか、ともかく明るく頑張っていて、悲惨な話がこれでもかというくらい出てくるのに皆がお互いに思いやっているんですね。
現状がなかなか改善されないまま現実に向き合っていく頃にドッと抑え込んでいたストレスが爆発しちゃうのではないかと心配になりました。

港近辺だけじゃなく街全体が磯臭く、晴れた日は風塵が舞って白く霞がかかったようです。
海から工場から冷蔵庫から冷凍庫から、あらゆるところから流れだした魚が転がっています。
車で走っていると、見渡す限りの被災地に重機と人が入っている場所はポツンポツンと気がつく程度。
ともかく広範囲すぎて。。。気仙沼市は瓦礫の撤去に3年かかるだろうとの見解です。
車で通行止めから先は物見遊山で入れる状況ではないのです。
まだ亡くなられた方と同じくらいの行方不明の方がいる状況なのですよ、悲惨としか言いようがないです。
家庭内避難所のような生活をして、いろいろな人のその時を聞いて、ちょっと私も今までにない体験でした。

それでも私が実家にいる間にもスーパーの品物は日に日に増え、ガソリン事情も日に日に改善され、生活感が感じられるようになってきました。
東京で室内アンテナを買っていって、アナログに戻してテレビもやっと見ることが出来て両親に喜んでもらえました。
あとは市ガスが復旧するだけです(見通しは立っていないんだけどね)
実家にも沢山の知り合いから贈り物が届き、甥も義兄もボランティアに出掛け、皆が街の復興を願う気持ちが強く伝わりました。
だってどんな状況だって生きていかなくっちゃ!
普通の生活に戻さなくては!
そういう意味で日本人は逞しく勤勉なんだと思いました。

現実は海は壊滅的、地元産業は先の見通したたず。。。
気仙沼は基幹産業が水産業なわけで、そして水産関連企業、工場などは海岸周辺に集中しているので港周辺が賑わっていたわけです。
そういう意味での被害は計り知れないのです。
それでもそれでも頑張るしかないんだね。
私は応援し続けます。


☆今日はこちらのプロジェクトに参加しました。
三陸牡蠣復興支援です。
先払いで牡蠣を買うのです。牡蠣筏を始めとして全てゼロからの出発に支援します。
3年後、5年後、いつになるか分からないけれど必ずや三陸に牡蠣が戻ったら20個届くのです。
本当に楽しみに待っていますよ!

三陸牡蠣復興支援プロジェクト「SAVE SANRIKU OYSTER」
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by mamamack | 2011-04-07 23:35 | みなと気仙沼 | Comments(4)

まくちゃんだって

私が塞いでいたらまくちゃんだって被害者だよねぇ。

本日まく日和につき、びゅんと遊ばせました。

こりゃ楽しいね♪

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今日は暑い暑い!

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東京地方桜五分咲きというところかな。
今日明日気温が高いので一気に開くでしょうね。

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気仙沼の津波のストロー現象で氾濫した大川の土手は地元の桜の名所でもあります。
桜の木も全滅かなと心配していましたが、ニュースで一部折れた桜の木からも芽吹いてきた映像を見て嬉しくなりました。
桜の木もたくましい!!
開花は一ヶ月も先のことですが地元の人達に素敵な贈り物になりますように。

気仙沼沖を漂流していたワンちゃんが3週間ぶりに救助されましたね。
飼い主はどうなったのかな、、と心配していましたが、無事避難されていたようで、ワンちゃんは無事に飼い主さんに対面できましたね。
なんて嬉しいニュースでしょう!!
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by mamamack | 2011-04-05 23:38 | みなと気仙沼 | Comments(2)

帰郷

震災後、日を重ねて行っても私の想いは故郷と家族のもとに飛んでいて、現実的な生活の方に戻れないでいました。
電話、電気の回復と共に入ってくる情報も、親戚、知り合い、同級生の行方不明や犠牲になったという話が多くなってきて胸が塞がってしまうのです。

故郷を想ってもこういう非常時、交通情報やらガソリン事情を考えるともう少し落ち着いてから行くべきなのかとも思いながらも、こんな大災害時こそ家族が集まって顔を見て再会を喜ぶべきと思いました。
よし、帰郷しよう!
でもね、こんな悲しい帰郷はなかったです。

燃費を考えてヴィッツにしたものの、持っていくものでパツンパツン。
東北自動車道は開通したものの福島に入ると修復箇所が多くなり、制限速度も80キロでした。
走行する車も災害救助関連の車が多く、ご苦労様ありがとうという気持ちでいっぱいになりました。
当然のことながら休憩所でも作業服や自衛隊の方が多く、行楽客で埋まるいつもの光景とはかけ離れたものでした。

私の実家、気仙沼市に入るには東北自走車道一関で降りて内陸から気仙沼に出る方法と、仙台から海沿いに三陸道を北上する方法があるのですが、海沿いはまるまる被災地なので一関から行きました。
何と言ったらいいのでしょうね。。。
一関から気仙沼に向かっていく見慣れた風景。
何も変わっていない見慣れた風景です。
空は抜けるように青く平和そのものの風景です。
この先に繰り広げられているであろう災害の痕など想像することさえ難しいことでした。
そんな光景がさらに悲しさを増してしまいました。

そして現実は。。
ニュース映像で十分見尽くしていたつもりだったけど、あまりの凄まじさに声も出ませんでした。
自分が見知っている土地、あるべきものが無くなって、元の場所さえ想像できない状況。
私は私が現実に見た状況を的確に文章にする力はありません。
こんな大災害って起きてしまうものなんだなぁ。。。

なんだかね、一気に書こうと思ったんだけど書く元気が出ません。

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by mamamack | 2011-04-04 00:05 | みなと気仙沼 | Comments(8)

ままま&まっくす的 、ほにゃらら生活


by mamamack
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