気仙沼市の南隣の南三陸町
志津川町と歌津町の合併によって2007年に誕生した町です
南三陸町という町名は私にとってちょっと馴染みが薄いです
二日目は実家の義兄に海岸線をドライブしてもらいました
まず南三陸町へ
もちろん行く途中も三陸の海岸線まるっと被災地です
私は被災前、そして被災後数回と順次変遷を見ているわけで
瓦礫もなくなり、ところどころ嵩上げ工事や防潮堤工事などの現場の他は
夏草に覆われた平地になっている景色は
義妹へ説明しながら、有ったものがなくなった状況を伝えるのは難しいものだなと感じました
防災対策庁舎は旧志津川町にあります
最大15.5メートルの津波に襲われた志津川湾
12メートルの高さの防災対策庁舎は屋上2メートルまで津波に襲われました
屋上でアンテナの先につかまって助かったのが町長を含めて11人だけ
多数の職員や避難してきた人たちが犠牲になってしまった場所です
知人の県職員だった息子さんもここで行方不明になりました
実際に震災遺構になった場所の前に立つと
災害の悲惨さが現実として胸に迫って来ます
やっぱり何とも言えない一種独特の存在感を示しています
この庁舎は遺構として残すか取り壊すかということで二転三転しています
町として最終的に取り壊しの決定が発表されたものの
また保留状態になっているようです
震災遺構というものはそれだけ大きな存在感を示すし
前に立つと悲しみに襲われます
まして町の人、そして犠牲者の家族にとっては見たくもない存在にもなることでしょうね
でもこういう遺構を残すことで常に災害の記憶を留め教訓を残すことにもなるかなと思ったりもしました
それでも残すにしても周りの土地の嵩上げ工事が進むと
庁舎は窪地になってしまうという問題も出てくるそうで
なかなか難しいことですね
新しい道路は嵩上げ工事完了であの高さで開通しています
南三陸町のモアイ像
イースター島の石は島外不出だそうで
イースター島以外で本物のモアイ像を見ることができるのはここだけなんですよ
南三陸町にモアイさんがやってきた顛末はこちらでね
モアイさん、黒サンゴでできた目で
南三陸町の未来をずっと見守ってくださいね
南三陸さんさん商店街で海産物などお買い物もしてきました
夏休みなのでちょっと賑わっていましたよ
これは浜じいの籠
荷造り用紙テープで手編みです
なんと2500円!!
手間暇かけて編んだ素敵な籠です
義妹とお揃いで買いました
持ち帰った籠を見て妹も欲しい!と言って
数日後また姉妹と出かけみんなで籠を買いました
狭い仮設店舗内でわいわいキャッキャとお買い物をするおばさん
シャイな浜じいは店舗の外からニコニコしながら見ていました
浜じい、元気で素敵な籠をたくさん編んでくださいね!
志津川町と歌津町の合併によって2007年に誕生した町です
南三陸町という町名は私にとってちょっと馴染みが薄いです
二日目は実家の義兄に海岸線をドライブしてもらいました
まず南三陸町へ
もちろん行く途中も三陸の海岸線まるっと被災地です
私は被災前、そして被災後数回と順次変遷を見ているわけで
瓦礫もなくなり、ところどころ嵩上げ工事や防潮堤工事などの現場の他は
夏草に覆われた平地になっている景色は
義妹へ説明しながら、有ったものがなくなった状況を伝えるのは難しいものだなと感じました
防災対策庁舎は旧志津川町にあります
最大15.5メートルの津波に襲われた志津川湾
12メートルの高さの防災対策庁舎は屋上2メートルまで津波に襲われました
屋上でアンテナの先につかまって助かったのが町長を含めて11人だけ
多数の職員や避難してきた人たちが犠牲になってしまった場所です
知人の県職員だった息子さんもここで行方不明になりました
実際に震災遺構になった場所の前に立つと
災害の悲惨さが現実として胸に迫って来ます
やっぱり何とも言えない一種独特の存在感を示しています
この庁舎は遺構として残すか取り壊すかということで二転三転しています
町として最終的に取り壊しの決定が発表されたものの
また保留状態になっているようです
震災遺構というものはそれだけ大きな存在感を示すし
前に立つと悲しみに襲われます
まして町の人、そして犠牲者の家族にとっては見たくもない存在にもなることでしょうね
でもこういう遺構を残すことで常に災害の記憶を留め教訓を残すことにもなるかなと思ったりもしました
それでも残すにしても周りの土地の嵩上げ工事が進むと
庁舎は窪地になってしまうという問題も出てくるそうで
なかなか難しいことですね
新しい道路は嵩上げ工事完了であの高さで開通しています
南三陸町のモアイ像
イースター島の石は島外不出だそうで
イースター島以外で本物のモアイ像を見ることができるのはここだけなんですよ
南三陸町にモアイさんがやってきた顛末はこちらでね
モアイさん、黒サンゴでできた目で
南三陸町の未来をずっと見守ってくださいね
夏休みなのでちょっと賑わっていましたよ
荷造り用紙テープで手編みです
なんと2500円!!
手間暇かけて編んだ素敵な籠です
義妹とお揃いで買いました
持ち帰った籠を見て妹も欲しい!と言って
数日後また姉妹と出かけみんなで籠を買いました
狭い仮設店舗内でわいわいキャッキャとお買い物をするおばさん
シャイな浜じいは店舗の外からニコニコしながら見ていました
浜じい、元気で素敵な籠をたくさん編んでくださいね!
震災後3年が過ぎ、気仙沼へ帰省して思うのですが、仮設商店街へ足を運ぶ頻度が明らかに少なくなっています。同年生の金森君が太田に居酒屋「金森」を開店し、エースポートのご夫妻が上田中でロカーレを開店し、八瀬には喫茶店「八瀬」など、特徴のある良い店を見かけるように成りました。少しずつですが、力のある店主が自立して行く姿を見ると、そちらを応援したくなるのは、変節した心変わりと云われても仕方ないことですね。ただ言い訳を云わせてもらえれば、3年も経つと、私たち夫婦も支援する側と云うよりは、単なる一消費者として個々の商店を見るように成ったということです。新規の独立した開店と従来の仮設商店街のバランスがなかなか難しいものですね。
さて志津川は私にとって想い出深い土地ですが、陸前高田と同様に復興のテンポが非常に遅く感じられる所です。それでも、あのモアイの半眼のまなざしで、「まあ何とかなるさ」と語っているかもね(三)
さて志津川は私にとって想い出深い土地ですが、陸前高田と同様に復興のテンポが非常に遅く感じられる所です。それでも、あのモアイの半眼のまなざしで、「まあ何とかなるさ」と語っているかもね(三)
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mamamack at 2014-08-27 00:09
☆エーノスさん
3.11のことにも一人一人のアノ日があり、仮設商店街で商売なさっている方々にも各々の事情があることでしょうね。
一括りにはできない事情を抱えて頑張っているのだろうなと商店街を訪れるたびに思います。
ことさら、海のそばで商売を再開したいと考える人にとってはまだまだ大変な状況ですね。
なにしろ海のそばと内陸側とではまったく町の様子が違いすぎますものね。
でもおっしゃるとおり私たちもだんだん支援する側というより消費者として商店を見るようになってくるのは当然のことでしょう。
そしてそれには仮設であれ自立した店であれ、消費者にとって魅力的な店かどうかということですね。
そして魅力的なお店がたくさん増えるということは気仙沼の魅力にもなっていってくれるのでしょう。
3.11のことにも一人一人のアノ日があり、仮設商店街で商売なさっている方々にも各々の事情があることでしょうね。
一括りにはできない事情を抱えて頑張っているのだろうなと商店街を訪れるたびに思います。
ことさら、海のそばで商売を再開したいと考える人にとってはまだまだ大変な状況ですね。
なにしろ海のそばと内陸側とではまったく町の様子が違いすぎますものね。
でもおっしゃるとおり私たちもだんだん支援する側というより消費者として商店を見るようになってくるのは当然のことでしょう。
そしてそれには仮設であれ自立した店であれ、消費者にとって魅力的な店かどうかということですね。
そして魅力的なお店がたくさん増えるということは気仙沼の魅力にもなっていってくれるのでしょう。
by mamamack
| 2014-08-11 00:17
| みなと気仙沼
|
Comments(2)